2020年NHK放送の4Kでよみがえるミクロの世界Vol11にもご出演いただいた
世界的ヴァイオリニストで、弊社創業者の小林米作氏のご長男でもある、
小林武史氏が亡くなられた。
5/19に亡くなったそうです。



幼い頃から次男の健次氏と二人、父の米作氏に厳しくヴァイオリンの指導を受けたのを現在まで
話しておられた。
昨年の5月に紀尾井ホールにて、
團伊玖磨生誕100年記念コンサートで素晴らしい演奏を聴かせていただいた記憶がまだ新しい。
晩年ギリギリまで一線の音楽家、演奏家として生き切ったすごい人でした。
いまごろ米作氏や弟の健次氏と再会を果たしているのでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。(写真は2020年放送NHK 4Kでよみがえるミクロの世界vol.11より)
より
小林は1931年インドネシアのスマトラ島生まれ。鈴木慎一に師事し、戦後間もない1949年に毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)のヴァイオリン部門で優勝。1951年にデビューした。24歳の若さで東京交響楽団のコンサートマスターに就任。その後、1960年代には、チェコ国立ブルノ・フィル、オーストリアのリンツ州立ブルックナー管弦楽団のコンサートマスターを歴任。帰国後には、読響のコンサートマスターとなった。同楽団の音楽監督も務めるが1971年には退団、ソロ活動に専念する。
国内のみならず、ヨーロッパ、中近東、東南アジアなど、世界各地でリサイタルを行い、「プラハの春」をはじめとする著名な音楽祭にも招かれた。 国際交流基金派遣の文化使節としての派遣は10回以上に及ぶ。ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲(ピアノ伴奏版)やショスタコーヴィチのバイオリン協奏曲第2番、エネスコのヴァイオリン・ソナタ第3番、マニャールのヴァイオリン・ソナタなどの日本初演者としても知られる。1984年には、室内合奏団「コレギウム・ムジクム東京」を結成した。
また、特筆すべきは、伊福部昭、團伊玖磨といった、同時代を生きた作曲家との交流。1979年には、伊福部のヴァイオリン協奏曲第2番をブルノで初演。團の「ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジア第2番」も、同じくブルノで1983年に初演している。團とは、日中国交正常化10周年に際し共に訪中。北朝鮮でのフェスティバルにも一緒に参加するなど、とりわけ親交を深めた。昨年5月の「團伊玖磨生誕100年記念コンサート」でも、読響との共演で、自身のために作られた團の「ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジア第1番」を演奏。また、同年鳥取市にオープンした伊福部昭記念館の館長に就任するなど、最晩年まで精力的に活動していた。
指導者としては、桐朋学園大学、東京音楽大学講師のほか、宮城県中新田バッハホール音楽院院長も務めた。1996年に文化庁芸術祭大賞を受賞。 今年3月には、CD『Fantasia~唯一無二の音色で奏でる珠玉の小品集~』がナミレコードより復刻発売されたばかりだった。
スズキ・メソードのページにも掲載されました。(6/2追記)
より
小林武史先生を偲んで ― 追悼の辞 ―
ミリオンコンサート協会提供 国際的ヴァイオリニスト 小林武史先生(享年94歳)ご逝去の報に接し、公益社団法人才能教育研究会(スズキ・メソード)は深い悲しみに包まれております。
小林先生は若くして鈴木鎮一先生に師事され、ヴァイオリニストとして国内外の一流オーケストラにてコンサートマスターを務められるなど、ソリストとしても世界各地で数多くの演奏活動を展開されました。その傍ら、スズキ・メソードの精神を体現する教育者として、長年にわたり子どもたちの育成に尽力され、大きな功績を残されました。また、南米の社会的音楽教育プロジェクト「エル・システマ」にいち早く注目され、その理念とスズキ・メソードとの共通性を見出し、国際的な音楽教育の連携にも尽力されました。音楽を通じて人を育てるという先生の信念は、国や文化の垣根を越えて今なお多くの人々に受け継がれております。
鈴木先生を中心に、右が小林武史さん、
左が弟の健次さん
公益社団法人才能教育研究会におきましても、理事として教育・運営の中枢を担われ、本会の発展に多大なるご貢献を賜りました。先生のあたたかなご指導と情熱は、多くの生徒や保護者の心に深く刻まれ、全国の指導者にも大きな影響を与えてこられました。これらのご功績は、スズキ・メソードが掲げる「音楽を通じた人間教育」の理念を体現するものであり、その精神は今もなお、多くの人々の中に息づいております。
ここに、小林武史先生のご生前のご功績に深く敬意を表し、心より感謝申し上げますとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2025年5月30日 公益社団法人才能教育研究会
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